[特集]ひとみしょう 作 『世界が変わるとき』第9話(ユカイノベル)

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ひとみしょう 作 『世界が変わるとき』第9話

―――それは、一人の女性の成長物語―――
ユカイノベル

世界が変わるとき ~自分に自信がなかったわたしが自信を持つまで~

ひとみしょう 作

第9話「やりたいことなんて、探す必要はないんだよ」

仙台

チャットレディでもしながらスマホで求人情報を探して、30歳までに適当な昼職につこうかな……なんて考えていたけれど、現実はそう甘くはなかった。かといって、ものすごく辛いものでもなかった。

25歳で渋谷の会社を辞めてから、現在29歳まで、わたしの履歴書は空白になってしまう

この事実を前に、わたしは立ちすくんだ。

実家が商売をしている風俗嬢は、風俗バイトをしている期間を、実家の商売の手伝いをしていましたと、適当なことを履歴書に書いて昼職に転職していた。

風俗店で出会ったお客さんと、お店を辞めたあと、結婚して主婦になった人もいた。

カラーコーディネーターなどの資格を取得して、貯金を使って、自分でカラーコーディネートの教室を開いた人もいたっけ。

でも、わたしの両親はマジメなサラリーマンだし、わたしには今すぐ結婚したいという気持ちもないし、取得したい資格なんてものもなかった。

だからわたしは、500万円の貯金と、すごく少ない家財道具を持って、仙台に飛んだ。

仙台を選んだ理由?

とくに暮らしたい街もなければ、やりたいこともなければ……こんな「ないない尽くし」のわたしの性格が、仙台を なぜか 選んだということだ。

いつものように風俗の求人サイトをスマホでタラタラと見ていたら、仙台という言葉にぶち当たって、仙台って行ったことないから行っておこうかな……と思ったってこと! それだけ!

で、仙台の街では、わたしはデリヘルを選んだ。

やっぱりね、「日給3万5千円以上可能」とか「送迎有り」とか「完全全額日払い」なんて言葉に弱いんだ……。

風俗の仕事って、決して楽だとは思わないけど、かといってすごくしんどいものでもない。

それに、若い男子スタッフや、歳の近い女の子たちとワイワイやっていたら、自分が風俗の仕事をしているのか、高校の文化祭の延長に生きているのか、よくわからなくなってくる。

それはきっと金回りがいいせい。

それに加えて、「完全自由出勤制」とか「最低保証制度あり」「プライバシー絶対厳守」「衛生管理面万全」「アリバイ対策万全」「ノルマ一切なし」「罰金一切なし」なんて言葉がずらっと並んでいる風俗の求人サイトをずっと見ていたら、やっぱり風俗の仕事に馴染める心とカラダに産んでくれた両親に感謝! ってことになってしまい……。

もっとも両親には「アリバイ対策万全」だから、バレないんだけど。

そんなわけで、わたしは仙台市役所のすぐそばにある勾当台公園(こうとうだいこうえん)の先にあるデリヘルにお世話になることになった。

仕事内容は、以前やっていた新宿の歌舞伎町のデリヘルと、そう大きなちがいはなかった。

唯一、仙台のほうが働きやすいかもと思ったのは、街の雰囲気やお客さんやお店の人がとてもアットホームだってことだった。

歌舞伎町って、日本一の歓楽街と言われているくらいだから、ハッキリ言って、誰が誰だかわからない。そのへんの路地で酔っ払って寝ているおじさんに声をかける人もいない。いるとすればおまわりさんくらいだ。

でも仙台の街って、歌舞伎町よりも狭いので、おそらく100人とすれ違ったらひとりくらいは顔見知りがいるのだろう。すれ違いざまに声を掛け合う人たちがときおり目についた。

アットホームな雰囲気は、わたしが在籍したデリヘルにもあった。

そのお店の、男性客が見るホームページには「写メ日記」というコーナーがあった。デリヘル嬢たちが写真と短い文章を書き込むページだ。

たとえば

「今日、出勤しま~す! 遊んでください 梨花より」

とか

「先ほど**というホテルで遊んでくれたお兄さん! 初めてのローション風呂、めっちゃ楽しかったです。ありがとね byしほ」

とか

「昨日遊んでくれたお兄さん! お土産ありがとう! 美味しくいただきました」

とか、そういう文章と風俗嬢のセミヌード写真(もちろん顔は写さない)を掲載している掲示板のようなものがある。

「最後にお話ができてよかったです。まさかの転勤、寂しいな……。いつも長い時間そばにいてくれて、優しく包み込んでくれましたね。本当に本当にありがとうございます」

なんていう、とても愛に溢れているお客様に対するコメントも書き込まれてあった。

「近所のトンカツ屋さんへ! はぁ……ガッツリ食べるってしあわせ」

なんていう、風俗嬢のなにげない日常のつぶやきも書き込まれてあった。

わたしがかつて在籍していた歌舞伎町のデリヘルでも、そういうページはあったけれど、

「りかです! 本日19:00~ラストです!本日もよろしくお願いします」

というかなり事務的な書き込みしかなかったように記憶している。

実際に、仙台のデリヘルのお客さんは、わたしにとても親切にしてくれた。

痛いプレイを強制してくるお客さんは皆無だった。

ほかの女の子に話を聞いても、女の子が嫌がることを強制してくるお客さんに会ったことがないと言っていた。

狭い地方都市だから、女の子が嫌がるプレイを強制してしまえば、ウワサがウワサを呼んで、どのお店にも出入りできなくなってしまうのかもしれなかった。

あるいは地方都市特有の人情深い人たちがお客さんとしてついているお店なのかもしれなかった。

いずれにせよ、わたしは29歳という、このお店の最年長女子として、楽しく働くことができた。

昔、吉原のお客さんに言われた「風俗の仕事はね、今この瞬間をともに生きる歓びを分かち合う大切な仕事なんだよ」という言葉の意味がわかるような気がした。

「客って淋しさを癒しに風俗店に来ているんだよね」という言葉の意味もわかる気がした。

「君が持っている母性本能はすばらしいから、その母性本能を活かせる仕事をしなさい」と言っていたおじいちゃんの占い師さんが言いたかったことがわかったような気がした。

要するに、わたしはこのままでいいということなのだろう。

したいことが特にないのなら、なにも無理をしてしたいことを探さなくたっていい。

風俗の仕事が嫌いではないのであれば、なにも無理に昼間の仕事を探さなくたっていい。

ヒロシのことが好きなのかどうなのか、自分でもよくわからないのであれば、無理にわかろうとしなくていいし、当然、無理にヒロシのことを探さなくたっていい。

そう、わたしはわたしが感じるままに生きていけばいい!

そんなふうに思えて、いろんな細かいモヤモヤが吹っ切れたからなのか、貯金が500万円あり、わりとのんびり働くようになったからなのか、わたしはお店の年下の子に好かれるようになった。

一番わたしのことを慕ってきたのは、夢子という22歳の背の低い女の子だった。

夢子は仙台市内の大学に通っていて、実家はそれなりに裕福だった。

仕送りだって、おそらくほかの大学生と同じくらいかそれ以上もらっていたと思う。

でも、夢子は、昔のわたしと同じで、浪費癖があった。

だから、仕送りが振込まれると、それを全額おろして、仙台駅のPARCOに行って、欲しい洋服を欲しいだけ買っていた。

そして、家賃が払えないことがわかると、このお店に来て、家賃分を稼いで1週間くらいシフトを入れなかった。

1週間ほどするとまた、夢子は3日連続でシフトを入れた。学費を使い込んだのだった。

愚かだ。

わたしはそう思ったけれど、もちろん口にしなかった。昔のわたしと同じようなことをやっているにすぎない。それを愚かだと言いたくない!

本当に夢子のことが愚かだと思ったのは、大量の洋服を持っているにもかかわらず、会えばいつもワンウエイのシャツを着ていることだった。

「高校のときに買ったワンウエイのシャツがすごく気に入っていて……」

夢子はわたしにこう言った。

「気に入っていると言ってもさ……夢子、お洋服たくさん持っているじゃない。たまにはちがう洋服を着ればいいのに」

わたしがこう言うと、彼女は「うん」という感じでニッコリと微笑んだけれど、次に会うと、またワンウエイのシャツを着ていた。

わたしとおなじで、適当な性格なのか、どこかしら頑固なところがあるのか、あるいはその両方の性格を有しているのか……そんなところだろう。

ま、そんな後輩のような子と出会ったわけだけど、これまでわたしは自分のことを先輩だなんて思ったことがなかったという事実を、夢子に出会って知った……このことがわたしにとって、すごく驚きだった。

思えば、ついこの前までいた東京の吉原までは、同い年かちょっと年上の風俗嬢のことしか眼中になかった。

それはきっとわたしが500万円貯金するまでは、なにがあっても仕事を頑張ると思っていたからだろう。だからつい、ライバルのように見える同年代の子をしっかりと観察してしまっていたのだろう。

あるいは先輩の仕事のやり方をどことなく盗み見しながら、どうやったらもっと稼げるのかを、考えていたのだろう。

それが、仙台のこのアットホームなお店に来たら、なぜかすでにお店に在籍している子たちは全員年下で(なぜか、というのは言葉のアヤで、わたしはすでに29歳なのだから、たまたま若い子がたくさんいるお店に間違って入ってしまったから……というのが正確な言い方だけど)、その子たちから姉のように慕われるようになった。

これは明らかにわたしの人生における、ひとつの大きなターニングポイントだった。

なにも30歳を控えて、早く風俗の仕事を辞めなくてはと焦ったということではない。

上を見ればキリがないし、下を見てもキリがない。

でもわたしは

下を見たことがなかった

という事実を知って驚いたということだ。

下を見たら、不思議と、自分のこれまでの人生がふわっと緩やかに見渡せるから不思議だ。眼下の景色をぼんやりと眺めているだけで、なんとなく先の暮らしが想像できるから、これまた不思議だ。

そんなお釈迦様の気持ちみたいに穏やかな日々を送っていたら、案の定、夢子から相談があると言われた。

わたしは夢子の表情を見ただけで、相談ではなく、どうせお金を貸してほしいというお願いだろうと思ったので、「お金、貸してほしいの?」と彼女に聞いた。

夢子は、かわいい女子大生の笑顔で「はい」と答えた。

「夢子ね、そういう笑顔をしてお客さんに『30分でいいから延長して』ってお願いするんだよ。そしたら稼げるからさ」わたしはちょっとだけ冷たくこう答えようと思った。

でも、その日はたまたま、夢子もわたしも、26時に仕事が終わりだったので、仙台駅の裏の居酒屋にふたりで入って、夢子の相談とやらを聞いてあげることにした。

先輩って、こういうことをたまにしてあげなくちゃならないでしょ?

夢子とわたしは、お通しと薄いウーロンハイを前に、今日のお客さんの話をしながら、お客さんがくれたチョコレートを分けあったり、着ている洋服の話をしたりした。

ひと通りの話が終わると、ちょっとだけ重たい沈黙があったから、「夢子、相談ってなに?」とわたしから聞いた。

うつむきながら夢子がわたしに話したのは、なんのことはない、わたしが25歳の頃に抱えていた悩みとおなじだった。

「優子先輩は、どうやって自分がやりたいことを探したんですか? わたし、就活をしていていつも思うんです。とくにやりたくない仕事をするために就活してても、身が入らないし虚しいだけなんです」

わたしは思わず笑ってしまった。笑ったわたしを夢子は少し冷たい目で見た。「ごめんごめん、夢子のことをバカにしている笑いじゃないんだよ」

と言ってから、わたしの口をついて出た言葉は

「やりたいことなんて、探す必要はないんだよ」

という言葉だった。

「やりたいことなんて探す必要はないんだよ。やりたいことは、ある日突然、夢子の胸に湧き上がってくるの。それまでは、やりたいことを探すんじゃなくて、夢子が感じるままに生きればいいの。

風俗の仕事が楽しいのなら、毎日でもシフトを入れればいいじゃない。だって大学なんてもうほとんど行かなくてもいいんでしょ?

彼氏と遊ぶのが楽しければ、もっといっぱい遊ぶといいじゃない。お洋服を買うのが好きなのであれば、部屋に入りきらないほどお洋服を買えばいいよ。

とにかくね、自分が感じるままに生きていれば、そのうちどうにかなるの。だから、なにをするにしても、そのとき、自分がどう感じるかを大事にしなさい」

居酒屋を出て、夢子と別れてひとりで歩いて家まで帰りながら、わたしは尊大なことを言いすぎたかなとちょっと反省した。

わたしはほろ酔いでダ~っと喋ったから、偉そうな先輩ヅラをしようと思って言った言葉はなにひとつなかった。でも夢子には、ちょっと偉そうに聞こえたかな……でも、ま、いっか! 明日も夢子とシフトが同じだから、デリヘルの待機所で夢子と会ったらフォローしとけばいいや!

そう思ったとき、わたしのスマホが鳴った。

ヒロシからだった。

電話の向こうでヒロシはしきりに「ごめんごめん」と繰り返した。

「ヒロシ? どこにいるの?」わたしの口からは、ありきたりな言葉しか出てこなかった。

「大阪」

「は? 大阪? 大阪でなにしてんの?」半分怒ったような声で、わたしは怒鳴るように言った。

「優子ちゃん、ホントにごめん! 闇金の会社の先輩におれの居場所を突き止められてさ……で、監禁されるみたいに大阪に連れてこられて、これまでどこでなにをやっていたか全部言わされてさ……で、おれのスマホ、会社の上司が怒ってバッキバキに踏んづけて壊しちゃってさ……」

「はあ? で、なんでわたしの電話に電話をかけることができたのよ、今」

「ああ、それは後から話すからさ、とりあえず大阪に来てよ」

はぁ……また引越しかよ……

わたしは「はいはい、わかりました。ヒロシの言うことならなんでも聞きますよ」と言って電話を切った。

電話を切ったとき、わたしは500万円の貯金はヒロシに隠しておくにしても、500万円分の母性本能はヒロシに捧げてもいいかも……と思った。

わたしが夢子に言った「自分の感じ方を大切にすればいい」とは、たとえばこういうことだ。

 

 

『世界が変わるとき』最終話に続く―――

『世界が変わるとき』第8話に戻る―――

2016/11/09
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