ユカイノベル

ひとみしょう 作 『世界が変わるとき』第4話

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―――それは、一人の女性の成長物語―――
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世界が変わるとき ~自分に自信がなかったわたしが自信を持つまで~

ひとみしょう 作

第4話「人を好きになりなさい」

横浜

イケメンの金持ちくんが借りてくれた横浜のマンションは、関内駅から馬車道通りをまっすぐ歩いたところにあった。

12階の4LDKのペントハウスからは、ベイブリッジがきれいに見えた。

そんな部屋で、イケメン金持ちくんとわたしとのSMちっくな生活は始まった。

世の人々が持っているSMプレイのイメージって、女王さまが黒いボンテージのコスチュームを着て、Mの男は白いブリーフを穿いて、女王さまにムチでしばかれるのを四つん這いで待っている……みたいなものだろうと思うけれど、そんな「絵的なもの」は、あくまでもイメージであり些末なことだ。

女王様と奴隷とでエッチなことを楽しもうと思うと、男女の精神的な信頼関係が不可欠だ。

奴隷志望の男性は、ふだんの男らしい顔を捨てるところから「プレイ」が始まる。

男らしい顔のまま奴隷を演じるというのは、物理的に不可能だからだ。

男らしくて、人生を頑張っていて、プライドも自負もある男だからこそ、Mになったときそこから解放され、おおいなる非日常の快感を味わうことができる。

そういう男が、わたしの前で四つん這いになったり、女子みたいに大きな声であえいだり、

耳元で吐息まじりに言葉責めされながら、乳首をいじられたり……。

女子は女子で、男らしくて人生を頑張っている男を征服する悦びを味わうことができる。征服感だけではなく、女として、男の子のめんどうをみてあげている悦びとか、人を心底かわいがっている歓びも芽生えてくる。

そして最後には赤ちゃんのようにわたしに甘えてくるかっこいい男……そんな姿を毎日見ていたら、わたしは人生の成功者みたいな気分になった。

人生の成功者といっても、やっている仕事は風俗店のアルバイトだ。

でも、社会的な地位が高い男性の裏の顔というか、本当の素顔を、わたしはこの手に収めている――ふだんのイケメン金持ちくんはきっと、自分の部下たちに威張り散らすこともあるだろう、銀行の融資係に「お金を貸していただけないのなら、先代からの弊社の預金を全部引き上げますが、それでもよろしいのでしょうか」なんて、意地悪なことを偉そうに言うこともあるだろう。

そんな男の昼間の顔と夜の顔のギャップを知っているのは、きっとわたしだけ……こんな優越感があった。

おなじようなことを、伊勢佐木町のM専門性感マッサージのセンパイお姉さんも言っていた。

そのお姉さんは、わたしが伊勢佐木町のお店に入って2週間くらいで辞めていった。小説家として新人賞をとってデビューしたとのことだった。

きっとお姉さんは毎日、男たちの昼間の顔と夜の顔の両方を見ながら、少々むずかしく言えば、人間とはいかなる生き物なのかを考えていたのだろう。

昼間は絶対に他人に見せることのない、人が持つ根源的な淋しさとか、甘えたい気持ちとか、なんかそういうものをSM女王として観察しつつ、人を愛していたのだろうと思う。

小説とは人を描くものである以上、そうでないときっと小説なんて書けない。

わたしは小説家ではないから、そのへんのことをうまく言葉にできないけれど、お姉さんの言葉をわたしは忘れることができない。

「優子ちゃんはSM女王さまの素質があるよ。あのね、SMってただ性的な満足をお客さんに与えるだけの行為ではないの。

性的な満足をお客さんに与えたり、与えてもらったり……つまり気持ちのキャッチボールみたいな仕事なわけ。

だから、優子ちゃんだってお客さんにしてもらいたいことがあれば、それをはっきりと口にしていいし、むしろ口にしたほうがお客さんが悦ぶのよ。

誰にも言えない性癖や、昼間は絶対に他人に見せない顔を、お互いに披露して愛(め)であうことが大事な仕事なの。そしてそれはきっと、お客さんも女王さまもみんな、人を好きになる大事なプロセスを歩いている途中のできごとだと思うんだ」

そんなわけで、わたしはイケメン金持ちくんと、プライベートでもお店でも、SMを心から楽しむようになった。

つまり24時間、女王さまとして生きるようになった。

借金?

お金をたくさん稼ぐようになれば、借金のことなんて、なにひとつ気にならなかった。

毎月、伊勢佐木町のお店から100万円近いお給料をいただき、イケメン金持ちくんからも、好きなだけお小遣いが入ってきた。

「借金? お金ならあるから、いつでも返してあげる。でも最初の約束どおり、毎月30万円くらい返済しておけばそれでいいんでしょ? 街金さんがお金に困ってるっていうのなら、もっと返済してもいいけど、どうする? もっとたくさん振り込んであげようか?」

こんな感覚だった。

それよりも、SMプレイ自体が、ものすごく楽しかったし、実際にすごく楽しんだ。お客さんに向かって思わず、「本日のプレイは、わたしもなにかと勉強になりましたので、今日はお金、いらないです」と口走りそうになったときさえあった(もちろんお金は全額いただいたけど)。

伊勢佐木町のお店にやってくるお客さんは、どちらかといえば社会的地位の高い男性だった。それは彼らが身につけているものを見るとよく分かった。

見るからに仕立てのいいスーツを着ていたり、オーダーメイドのワイシャツを着ていたりした。靴はもちろん、いつもよく磨かれていた。爪はいつも短く切りそろえられており、物腰はつねにやわらかだった。

若いお客さんは30歳くらい、上は70歳くらいの方もいた。

そんな紳士たちが、わたしに膝枕をされたり、アレの裏筋や亀頭を刺激されたり、子どものように叱られたりした。

ときには、わたしともうひとりの女の子のふたりから、乳首を責められるお客さんもいた。

わたしたちが見ている前でオナニーを披露する紳士もいた。顔面騎乗位をされてエッチなアソコのにおいに窒息しそうになっても嬉しそうにしているお客さんもいた。

プレイ中はみな一様に、学校のお勉強ができてもできなくても、学歴があってもなくても、まったく気にもしていないようだった。

自分に自信があるとかないとか、自分のことが好きか嫌いかということだって、なにひとつ気にしていないふうだった。

学歴があろうとなかろうと、自分のことが好きだろうと嫌いだろうと、とにかく今目の前にいる美女と、100%自分がやりたいことを楽しみたい、女々しくてエロい自分であったとしてもそれを100%美女にぶつけて受け止めてもらいたい――お客さんたちは、こんなことを全力で思っているふうだった。

もちろん、そういうものを受け止めてあげるとか、受け止めてもらうというところにお金が介在しているから、それは商売ではあったけれど、商売を大きく超えたところで、誰もが生きている実感をつかのま味わいたいと、心の底から望んでいるように思えた。

SM、この奥深き世界。

このような男性客の態度は、わたしにとってものすごく大きな発見だった。

わたしは歌舞伎町のデリヘル時代からずっと、男ってスケベでどうしようもないから風俗店で遊ぶのだと思っていた。

お金で女の子を買っているものだと思っていた。

でも、M専門の性感マッサージ店に来たら、みんな生きていくうえで必要十分な自信を持てないまま暮らしているのだろうと思えるようになった。

つまりみんな、少しは自分のことが好きで、同時に少しはじぶん自分のことが嫌いなまま暮らしているのだろうと思うようになった。

そう思えてきたら、わたしは何も自分のことが好きになれないことにコンプレックスを抱く必要なんてどこにもないと思えるようになった。

わたしはすでに、社会的地位の高い立派な男性たちに、生きる歓びを提供することができる立派な女性になっていたのだった。

闇川さんのことを話そう。

週に1度は決まって、祇園のアパートに置いてきた闇川さんからメールがあった。

メールの内容はいつも同じだった。

いかにわたしのことを愛しているかというのと、お願いだから数万円でいいから振り込んでくださいという内容だった。

「ほかになに何か喋れよ」とわたしは思ったけれど、わたしは彼の口座に、適当な金額を振り込み続けた。

闇川さんのことが好きだから振り込んでいたわけではない。もちろん彼のことは嫌いではない。嫌いなら振り込まない。

闇川さんのことを奴隷としてキープしておきたいというような気持ちが、わたしに銀行のATMで振り込みをさせていた。

友だちでもなければ彼氏でもない、そんな曖昧な関係に、職業によって芽生えたわたしのなかの女王さま的な性格が加わったことで、わたしは闇川さんの金銭的な面倒をみるようになったのかもしれない。

それに、風俗店のボーイさんのお給料って本当に安いから、そういうことに関する同情心もあったのかもしれない。お金というものは、持っている人が払えばそれでいい。好きだから振り込むとかそういうことではなくて、ただ物理的に「多くあるほうが」払えばいいもの、それがお金。

こんな気持ちもあったのかもしれない。

振り込んであげると、わたしは女王さまとして、彼にメールを返信した。

「闇川くん、ちゃんとひとりで暮らせてる? オナニーしないで、おとなしくあたしの帰りを待つんだよ」

「闇川さん」という呼び方が「闇川くん」に変化し、そのうち彼の下の名前である「ヒロシ」という呼び方に変化していった。

なぜかヒロシという呼び方がしっくりきた。きっと時はいろんなものを静かに変化させてゆくのだろう。

伊勢佐木町のマンションで一緒に暮らしているイケメン金持ちくんには、闇川さんとの関係がバレていなかったので、わたしとイケメンくんとの生活は穏やかに続いた。

彼は週に1度は新幹線で京都に帰っていたけれど(きっと社長の御曹司として、「それなりに」仕事が忙しいのだろうと思う)、それ以外の日は、ずっと伊勢佐木町のマンションにいて、洗濯をしたり掃除をしたりしながら、女王さまの帰りを待っていた(きっと奴隷として、女王さまの真っ赤なTバックを洗濯するのは、すごく嬉しいことだったのだろう)。

わたしが帰宅すると、わたしが命じた格好をして、わたしのご飯の用意をしてくれたり、わたしの肩を揉んでくれたりした。

わたしがイキたいときは、ちゃんと男として機能してくれた。お金だって、欲しいだけわたしに与えてくれた。

でも、それで「ハイ、女王さまは、幸せにイケメン金持ちくんと結婚してハッピーエンドになりました」とはならなかった。

わたしには月に1回くらい、精神的なバランスを崩してベッドルームから1歩も外に出ない日が生まれた。誰とも会いたくないし、喋りたくないのだ。

女王さまとして仕事をするのは好きだったけれど、女王さまはとにかくコミュニケーション能力が高くないと務まらない仕事だ。

だから多いときは1日に5人のお客さんとずっとコミュニケーションしている。これは、たとえて言うなら、朝の10時から夜の7時までずっとラジオのDJとして何かを喋り続けているような状態だった。つまり、常に誰かに向けて何かを喋り続けているかんじ。

もちろんM性感マッサージの仕事は、口で喋るだけの仕事ではない。だからあくまでも「たとえ」として、ずっとだれかと喋っているような仕事、ということだけど。

仕事でずっと誰かと喋って、家に帰ったら、気は休まるものの、イケメンの奴隷くんと喋って、そして週に1回くらい祇園の奴隷である闇川くんともメールで話をしている……これまでそんなにたくさんのお喋りをしてこなかったわたしは、月に1度は精神的に病むようになった。

でもそれはそれでよかった。

なぜ自分が病んでいるのかが、じぶん自分で分かっていたし、24時間誰とも会わないでベッドのなかでゴロゴロしていたら、それなりに気が晴れて、次の日から元気な女王として出勤できたから。

でも、いかに24時間で復活できるとはいえ、みんなに小さくウソをついて生きているというストレスは24時間寝たくらいでは消えてくれなかった。

わたしはまず両親にウソをついていた。

両親はわたしが今でも安月給の渋谷のポスト屋さんでマジメに働いていると思っていた。わたしは風俗バイトのことも引越しのことも両親に言っていなかった。

闇川さんには、イケメン金持ち君くんとわたしが一緒に暮らしていると言っていなかったので、彼はわたしが伊勢佐木町でひとり暮らしをしていると思っていた。

イケメン金持ちくんには、闇川さんのことをなにひとつ言っていなかったので、わたしには彼氏が(あるいは彼氏のような存在が)いないと思っていた。

こんなふうに、みんなに小さくウソをついているのって、正直、精神的にこたえた。でも今さら、みんなに対して真実を言うつもりもなかった。

一般的には、風俗嬢は、自他ともに対してウソをつくことに慣れてゆくと言われている。そのうちウソをウソと思わなくなり、結果として100%精神を病むようになる。

わたしが通っていた歌舞伎町のホストクラブにもそういう女子がいたし、今の性感マッサージの店にも、そういう子がいる。

そういう子のことを、わたしは精神力が弱い子なんだろうと思っていたけれど、今は「それはわたし自身のこと」だった。

わたしはわたしのメンタルが弱いせいで、月に1回くらい病んでしまっている……それをどうにかしたいと思っても、すでに仕事は楽しいし、もう十分なくらいのお金を毎月手にしているし、何をどうしていいのやら、さっぱり分からなかった。

つまり自分で、何に対してわたしは不満に思っているのかが分からなかった。

だからわたしは次第にイケメン金持ちくんに八つ当たりするようになった。

ある日のこと、イケメン金持ちくんと、伊勢佐木町のマンションでSMごっこをしているときのことだった。

彼はわたしの聖水をどうしても飲みたいと赤ちゃんのような声で言った。わたしは女王さまとしてのプライドと、誠実な奴隷に対する慈悲の気持ちがあったから、がんばっておしっこを出そうと努力した。

でもさっきトイレに行ったばかりで、どう頑張っても出ないものは出なかった。

それでも彼は飲みたいと言うので、わたしはブチギレた。

「出ないものは出ないんだよ」わたしはイケメン金持ち君くんに言った。

ふつう、プレイ中にそういう本音を言うのは御法度だ。

プレイはあくまでも演技であり、演技とは頭脳プレイのかけあいだから、本当に心底相手のことを怒ってはいけないというのが、SMの基本中の基本なのだ。

でもわたしはもう、何もかもがどうでもいいと思えてきて、本音を口走ってしまった。

少し沈黙があった。

そして彼は言った。「優子さん、ごめんなさい」。心の底からわたしに申し訳ないと思っているように聞こえる言葉だった。

わたしたちは間接照明がほの白く照らす部屋のなかで、黙ったままじっとしていた。

その重苦しい沈黙は、イケメン金持ちくんとも、伊勢佐木町のお店のお客さんとも、少し距離と時間を置く時期にきているということをわたしに示唆しているということが、私には分かった。

少し距離と時間を置いて、もう一度、わたしは真の職業的女王さまとして生きてゆかなくてはならない時期にきているのだろうということが、わたしには分かった。

仕事は仕事だし、プレイはどこまでいってもプレイだ。そこに私情をはさむと、すべてがぐちゃぐちゃになり、取り返しのつかないことになりかねない。

わたしは彼に、さっき脱がせてあげた白いブリーフを穿かせてあげつつ、明日の朝一番の新横浜発の新幹線で、一度祇園に戻ろうと決意した。

そろそろ、自分でついてきたウソを、自分でどうにかする時期にさしかかっていた。どうにかするために、わたしはわたしのホームグラウンドであるヒロシのもとにいったん戻ろうと思った。

わたしの精神的なホームグラウンド、ヒロシ。わたしを稼げる風俗嬢に育ててくれたヒロシ。

きっと彼に「育てた」なんて自覚はないと思う。でもわたしにとってヒロシは、育ての親以外のなにものでもなかった。そして、鳥が時を知ってじぶん自分の巣に帰るように、わたしもしかるべき場所にいったん戻ろうと思ったのだった。

 

 

『世界が変わるとき』第5話に続く―――

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2016/08/24